2021年11月13日

ぶら門前「浅間界隈で徳川慶喜と渋沢栄一の足跡をめぐる」開催!後編

前編につづき後編ですemoji02

浅間通り商店街では
渋沢栄一ゆかりの○○○を案内人の店でご紹介

安本酒醤油店には栄一が関連したビール会社、大日本麦酒の名入れの半纏があります163 かなり貴重ですよemoji02

さらに、教育や民間外交の分野での活躍に関係した栄一に関係する大変貴重な資料をごらんいただきました。

原木肥料店では、渋沢栄一が明治21年に設立した東京人造肥料会社の流れをくむメーカーの肥料が今も茶農家さんにご愛用いただいていることをなどご紹介。

また、明治維新後、大挙移住した旧幕臣たちがこの浅間通りにもたくさん寄留していたこともお話しました。馬場町には48軒、宮ヶ崎町には29軒の家にやって来たという記録があるのです。突然の人口増加で大変なことだったのでしょう。

浅間通りから、明治時代には無かった安西から続く県道を慶喜邸があった場所へ向かいました。
駿府96ヶ町のひとつ、御器屋町は西草深の一部、町名は自治会名として残っています。
ここの旧家には慶喜邸に在ったアガティスという南洋樹が移植されて残っています。

明治の地図をひらき、現在地を確認するとけいきさんのお屋敷がものすごく広かったことが実感できます。ここで、明治21年から30年までを過ごしました。浅間神社からもすぐ近くです。

お蔵の立つ横丁から浅間神社へ。西草深公園徳川家達邸があった場所です。幼少の静岡藩主はここに居ました。
後には渋沢栄一育英会事業等で共に活動しています。

かつて仁王門と呼ばれた総門から浅間神社へ。明治の神仏分離によって臨済寺に移された仁王像は、徳川慶喜が揮毫した大龍山の額が掲げられた山門にあります。
昨年秋、修復工事が完成した楼門は総漆塗りの光沢をたたえています。


社務所の玄関内には徳川家達の書が掲げられています。大正時代のものかと思われます。
申大孝の文字をガラス戸越しに拝見。「たいこうをのぶ」というのは祖先を敬う気持ちをこめた言葉です。この額は家康公を祀る八千戈神社に対面しています。

渋沢栄一日記には浅間神社を訪れたことが2度書かれています。明治43年3月6日の日記では「殿宇宏壮ナリ、宝物ヲ一覧シテ…」とあります。
この社殿をみたのです。どんな宝物をみたのでしょうか。

おせんげんさんのたからものをわたしたちも拝見しましょう。

静岡市文化財資料館で開催中の
閉館記念企画展 静岡浅間神社の御神宝
館長さんの見どころ解説と共に数々の貴重なお宝に見入ってしまいました。

あの青天を衝けにも登場した山田長政の肖像画が展示されていますface08
今川義元があつらえた家康十三才着初の鎧など徳川家にゆかりの品々emoji05

慶喜公渋沢栄一もごらんになったかも?

両日ともお天気にめぐまれ、お浅間さんは七五三などお参りの方たちがたくさん。にぎやかでした。

ゲストとして、3月の夢門前歴史塾で講師をつとめていただいた岡村龍男先生もお顔を見せてくれました。

9月に刊行された著書 渋沢栄一と静岡 では、ご案内した内容をさらに詳しく知ることができます。
商店街の早川書店にもありますemoji02

3月開催の夢門前歴史塾の様子はコチラもごらんください
https://sengendori.eshizuoka.jp/e2118104.html
https://sengendori.eshizuoka.jp/e2119158.html

このようなコースでした。

みなさまも浅間界隈で歴史散歩をお楽しみください

今回のぶら門前、ご案内は原木公子と安本久美子、サポート&写真撮影 坂野真帆でお送りしました。
  


Posted by 浅間通り商店街 at 20:51ぶら門前ツアー夢門前歴史塾