2021年04月04日
渋沢栄一と静岡 ゆかりの地めぐり
渋沢栄一と静岡 から
第2部 地図と写真でめぐる 渋沢と慶喜ゆかりの地
こちらをご紹介します。
夢門前歴史帖の歴史散策MAPのなかに
スポットはありますので、ご覧いただきながら・・・

岡村先生と浅間通り歴史プロジェクトメンバーが実際に歩いて取材した情報と共にご案内しました。
まずは、宝台院
徳川慶喜が蟄居謹慎していた場所として有名ですが、
渋沢と慶喜再会の地でもあります。

街中のお寺はこのように鉄筋の現代的建築のところが多いのですが、昭和15年の静岡大火や20年の空襲で焼失後に建て替えられているからです。
青天を衝けでは、どのように描かれるでしょうか。楽しみです。
高級料亭 浮月楼には、慶喜屋敷跡の石碑などがありますが、
江戸時代は代官屋敷。前回のとおり、
商法会所が置かれた場所です。
渋沢一家もこちらに住みました。
慶喜の謹慎が解け、移り住むことになると、
商法会所から変わった常平倉の事務所と渋沢一家の住まいは
教覚寺へ

たいへん古くからの歴史ある寺院です。
渋沢栄一に関する説明も境内にあります。
青葉シンボルロードを渡ると
別雷神社があります。
駿府の町人たちの会所でもありました。
ここで町人たちの自治が行われていたんですね。
講座に出てきた豪商たちが住んでいた
茶町界隈へ
茶町通りには駿府96ヶ町から続く町名が残っているので
町名碑を見ながら歩きましょう。
北村彦次郎は茶町一丁目に
萩原四郎兵衛は土太夫町に住んでいました。
御子孫はここには住んでいませんが、
広いお屋敷があったとわかる明治時代の地図をご覧いただきました。
土太夫町の桜森稲荷神社には
萩原四郎兵衛が奉納した石祠があります。
取材中に発見したものです

浅間通りから西草深の慶喜邸跡へ
夢門前歴史帖にはさんだ、年表をごらんいただくと
この草深邸も何度も訪れていることがわかります。
そして、静岡浅間神社
渋沢栄一の日記にはお参りしたことが2回出てきます。

歩いてもそれほど遠くないところにある場所ばかりです。
夢門前歴史帖を片手に
ぜひ、訪ねてみてください。
浅間通り商店街では、この講座の資料にした
夢門前歴史帖を
渋沢栄一と静岡のかかわりをつぶさに調べた年表付で
販売しております。(頒価300円)
長いご報告でしたが、お読みいただきありがとうございました
第2部 地図と写真でめぐる 渋沢と慶喜ゆかりの地
こちらをご紹介します。
夢門前歴史帖の歴史散策MAPのなかに
スポットはありますので、ご覧いただきながら・・・

岡村先生と浅間通り歴史プロジェクトメンバーが実際に歩いて取材した情報と共にご案内しました。
まずは、宝台院
徳川慶喜が蟄居謹慎していた場所として有名ですが、
渋沢と慶喜再会の地でもあります。

街中のお寺はこのように鉄筋の現代的建築のところが多いのですが、昭和15年の静岡大火や20年の空襲で焼失後に建て替えられているからです。
青天を衝けでは、どのように描かれるでしょうか。楽しみです。
高級料亭 浮月楼には、慶喜屋敷跡の石碑などがありますが、
江戸時代は代官屋敷。前回のとおり、
商法会所が置かれた場所です。
渋沢一家もこちらに住みました。
慶喜の謹慎が解け、移り住むことになると、
商法会所から変わった常平倉の事務所と渋沢一家の住まいは
教覚寺へ

たいへん古くからの歴史ある寺院です。
渋沢栄一に関する説明も境内にあります。
青葉シンボルロードを渡ると
別雷神社があります。
駿府の町人たちの会所でもありました。
ここで町人たちの自治が行われていたんですね。
講座に出てきた豪商たちが住んでいた
茶町界隈へ
茶町通りには駿府96ヶ町から続く町名が残っているので
町名碑を見ながら歩きましょう。
北村彦次郎は茶町一丁目に
萩原四郎兵衛は土太夫町に住んでいました。
御子孫はここには住んでいませんが、
広いお屋敷があったとわかる明治時代の地図をご覧いただきました。
土太夫町の桜森稲荷神社には
萩原四郎兵衛が奉納した石祠があります。
取材中に発見したものです


浅間通りから西草深の慶喜邸跡へ
夢門前歴史帖にはさんだ、年表をごらんいただくと
この草深邸も何度も訪れていることがわかります。
そして、静岡浅間神社
渋沢栄一の日記にはお参りしたことが2回出てきます。

歩いてもそれほど遠くないところにある場所ばかりです。
夢門前歴史帖を片手に
ぜひ、訪ねてみてください。
浅間通り商店街では、この講座の資料にした
夢門前歴史帖を
渋沢栄一と静岡のかかわりをつぶさに調べた年表付で
販売しております。(頒価300円)
長いご報告でしたが、お読みいただきありがとうございました
