2020年06月21日

夢門前歴史コラム―疫病と戦った 奥川先生の石碑

夢門前だより 第6号より
歴史コラムをご紹介します。

紙面では、文中の数字が横になってしまい、大変読みにくくなってしましました。申し訳ありません。

明治時代、疫病と戦った
奥川先生の石碑


静岡浅間神社には石碑がたくさんあります。
あまり目立ちませんが、いまこそ、ご紹介したいのは、こちらです。
夢門前歴史コラム―疫病と戦った  奥川先生の石碑

木立の間の小さな石碑が奥川先生の碑です。左は丸尾文六、右手には関口隆吉。大きな石碑にはさまれてますが、建立されたのはいちばん古いのです。

夢門前歴史コラム―疫病と戦った  奥川先生の石碑

浅間神社の池の辺には明治時代に活躍した人々の石碑が並んでいます。そのなかに知られざる青年医師 奥川求馬の石碑があります。

開国と共に侵入したコレラは 江戸時代末期から明治時代に何度も大流行し、特に明治12年には、全国で16万人以上、静岡県内でも1500人以上が罹患し、そのうち、半数以上が死亡しました。県では対策にあたる検疫医員を募集しましたが、敬遠する医師も多い中、自らすすんで応じた奥川求馬がいたのです。嘉永6年、五平村(現藤枝市)の医家に生まれ医業を継いだ求馬は特に流行が激しかった駿東郡佐野村(現裾野市)で献身的に患者の救護にあたりましたが、その年の9月、自らも感染し25歳の若さで殉職しました。

彼の死を悼む人々はこの石碑を建立し、功績をたたえました。石碑上部の篆額は静岡県大書記官、石黒務、撰文は衛生課長、蜂屋定憲によるものです。建立は翌明治13年6月30日夏越の祓の日です。

疫病、未知の感染症はたびたび人類を脅かします。コロナ禍の今、疫病に殉じた医師の石碑が残ることを伝えていきたいと思います。

(文 地域の歴史再発見プロジェクト 原木)



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Posted by 浅間通り商店街 at 15:40 │せんげん歴史館浅間神社